やがみにっき

にっき、にちじょう

パソコン遍歴から見る我が人生

2018年から始まった。

2018 初夏MacBook Air新品 → 2019 秋MacBook Pro新品 → 2019 冬メルカリのLet’s Note中古 → 2020 春iPad新品 → 2021 立春メルカリのChromebook中古 → 2021 夏メルカリのLet’s Note中古

私の、無駄な買い替え、勿体ない、理解不能なパソコン遍歴から見る私の人生。

10万円→18万円→6万円→4万円→3万円→1万4000円。

なぜMacBook Proで止めない?そう言いたいのもわかる。ほんとに私は馬鹿だと思う。でも、その時は金が欲しくてたまらなかったから、売って安いパソコンで済ませて、余った金で好きな物を買いたかった。

バイトを始めてはすぐ辞め、幾度もその繰り返しだったので、売った金で賄えるパソコンが欲しかった。

(因みにパソコン代は全て自分のバイト代で支払っている)

でも、そうにしても勿体ない。

私は、こうやって態々壊すことの無い城を壊して生きてきた。そうやって壊しては再建し、壊しては再建し、を繰り返すうち、何も成長しない。

マインクラフトも、ちょっとでも自分の思い通りに事が運ばないと、ワールドを変えて1から始める。

人間関係も、中学を卒業すると、人間関係が嫌になりグループを抜け、1から人生を始めるとでも言うように知り合いをリセットした。

特にいじめられていた訳でもないし、友達はいたが、長い悪夢としがらみから解放されたようにスッキリして気持ちが良かった。

そうやって、気に食わないから1から、1から、1から始めてしまう。

なにか、共通するものがある。


おわり

自己憐憫的な

どんなしょーもない話でも、悲観的に話されるとそんな風な話に見えてくるので、あまり自己憐憫したくないなと唐突におもった。


朝から晩まで親がパチンコ行ってて、愛情あんま受けたことないです。とか

持病を親にも理解されずに障害者になっちゃいました。とか。

教育まともに受けさせられませんでした。とか


誰にでも結構闇があるんだなと思ったのは、中学で仲良かった同級生の殆どが訳ありで、

父親死んで祖父母宅に住んでる人、母親が鬱で、死因は知らんけど死んじゃって父子家庭の人、両親死んで中卒フリーターの子、父親が何人も変わって貧困の子

みたいな。いろいろ片親多かった。

でもその話聞いて可哀想だと思っても、子供が子供なんて助けたくても助けれないし、情緒的なサポートって解決にならないし。空回って何の役にも立てなかった。

自己憐憫しちゃうとウザくなるし。自分が一番可哀想だって認めて貰いたくて、情緒不安定になっちゃうの、もう単純にウザイよね。

誰も、誰の不幸も負担したくないし、面倒事は厄介だから。

おわり

西日が暑い

夏の5時頃から7時前まで、西日が燦然と室内を照らすので、ほんとクソ暑い。室内は2時とかより余裕で暑い。

なう(2021/08/06 18:32:39)

エアコンないので、扇風機のみ。

9月に引っ越すから、そのときはエアコン導入するけど、そんときはもう涼しいとおもう。

脳が沸いて集中できないし、無気力、無力感で活動的になれない。

いちにちじゅうスマホぽちぽちしてたら5時になっててほんま鬱。

おわり


読書力〜

齋藤孝は、読書力のある人間を、

文庫本100冊、新書50冊以上

読んだ人間と定義しました。読書する人間が少なくなった日本で、これほど読む人どんくらいいるんだろ。

私は、蔵書全て数えていま160冊くらい。

大学4年間でこのくらい読めてたら読書力あるね。みたいな書かれ方だったと記憶しているのだけど。

まぁ別に、その量を10代のうちに読みこなせていようが、そんなの東大生のほうが頭がいいのだ!というか。読書家の高卒とか、山程いると思うし。

でも、こういう話を、東大生を引き出しに比較したりするの、世俗的で失礼なことだね。


おわり